祝福二世ねこのブログ

私なりに見える統一教会について、記したいと思います。誰かの一助になれば。

【第1回】教会について思うこと

*このブログは私の偏見と主観に基づいて書いています。*




まずは、私の統一教会について思うことを書いてみたいと思います。

まず私が思うことは、「組織ってだけでうさんくせぇ」です。


週一回の礼拝も、何度も行われる様々な大会も、献金制度も、もう何もかもが胡散臭いなぁと思います。


お金の使い道もきちんと示されていないのが胡散臭いと感じる理由かもしれません。なんだかんだと理由をつけて献金を求められて、じゃあそのお金は世界平和のためにどんなふうに使われてるの?って、思いますよね。無駄に豪華で大きな市役所を建て替えなんてされたら「税金の無駄遣い」って思いますし。


じゃあ、なんでそんな胡散臭いと感じる組織に身を置いているのか。


文鮮明氏の辿った人生があまりにも壮絶で、彼の思いはどこまでも純粋だったと感じるからです。

私には、どのような誇張をして彼の人生が語られているのかは分かりません。ただ素直に、彼が語る彼の人生が、あまりにも辛く苦しく、どこまでも神を求め、人々に神を伝えたかったその人生が、あまりにも無垢で素直で、どうしようもない感情にさせられたからです。


私は神を信じています。と言っても、それはこの世界の創造主であるものを「神」と思っているのであり、それが統一教会や文鮮明氏が指し示す「神」と同じものかは分かりません。

ただ今もなお戦争や弾圧、飢餓などで苦しむ人々を見て、涙を流すようなそんな神であってほしいと、願う私もいるのです。

統一教会の言う「涙の神様」が、今なおどうしようも救えない人々を見て、彼が思い描いた世界と全く違う世界を見て、泣いてくれていたらいいなぁと思うのです。心を痛めてくれていたら、ほんの少し、私の心が救われる気がするのです。


ただそれだけの理由ではありますが、だから私は統一教会に、今なお身を置いています。そこが神と繋がる場所だと信じて。


では、先ほども話した献金はしているのかと言うと、まともにはしていません。1/10献金など色々ありますが、私がしているのは、気が向いたら月献金を千円ほど。礼拝参加をすれば、礼拝後に配られるパン代と思って300円ほどの献金。

この献金を、統一教会の方はさも「神のため」「神に返す」などなど言っていますが、私から言わせれば、「神様ってお金で動くの?」っという感じです。


私は、母が45歳の時に生まれた四番目の子供でした。一番上とは15歳差、三番目とは8歳差。完全に予定外の子供でした。ちなみに私の両親は、三番目の子を出産後に既成家庭として祝福を受けました。

そんな母にずっと聞かされたのは、「2世はもう授かれないと思っていた。でも、ある時献金を求められて、お婆ちゃんにも助けてもらって献金をしたら、あなたがお腹に入ったんだ」という話でした。

一番最初に聞かされた幼稚園か小学生低学年だった頃、私は母に「お母さんは、私を神様から買ったの?」と聞いたことを覚えています。

そんなことで奇跡が起これば、もっと多くの人がお金を積んでるよと、今でも思いますが。


もちろん、今だからこそ母がそこに奇跡を感じたのはよく分かります。なんせ45歳。閉経していてもおかしくありませんし、実際ほぼ閉経していたと思います。卵子の状態もかなり悪くなってたはず。そんな妊娠しにくい状態になっていたにも関わらず、思いがけず授かれば、誰だって奇跡を感じてしまいますよね。それも、よくわかります。


でも、そんなお金で動く神様、普通に嫌ですよね。

だから私はあまり献金の意味も感じず、たまーに気が向いた時だけしています。運営費にもお金がかかるのはわかるので、私が無理にならない範囲、嫌にならない程度で。


次回は、祝福についてのお話をしたいと思います。


もし、これはどう思ってるの?これは実際どうなの?などなどございましたら、気軽にコメントください。お答えできる範囲で、おこたえできたらとおもいます。