【第5回】妊娠初期に感じたこと
夜になるとお腹が張り出し、前駆陣痛なのかお腹の張りなのか、ぎゅーっとお腹が痛み、楽な姿勢を探してはもがいて睡眠不足に陥っています。ねこです。
もう早く出てきて私を楽にしてくれ!と思う気持ちと、それでもやっぱりまだ小さな我が子が出てきてしまったら生きていく上でも苦労する可能性が上がると思うと、何が何でも臨月まではお腹の中にいてもらうからな…!なんて気持ちが、毎日せめぎ合っています。
妊娠の悩みは痛みだけではなく、何もしていないのに息切れ動悸等など、様々なところにトラブルが出てきます。命を育むこと、命を繋ぐことがいかに当たり前ではなく、一人一人の女性の覚悟によって紡がれてきたことを、感じざるを得ません。
今日は少し、私の妊娠について、夫婦関係についてお話をしてみたいと思います。
私は夫と出会って祝福を受けると二人で決めた時から、割と早くから「私はこの人の子を産むんだー!」と、燃え上がっていました。
それまでは、子供をこんなしんどい世の中に産み落とすなんて酷いことはできない…と思っていたのですが、夫を好きになればなるほど、愛したいと思えば思うほど、「この人の子を身籠もれるのは、全人類の中で私一人」という思いが強まり、「酷いこと」を求めました。完全にエゴです。
ですが問題が一つ。私、不妊だったのです。
夫は子供を最初から希望している人だったので、夫にも約婚をするずっと前、祝福を決めてからしばらくして、その事実はすぐに伝えました。すると返ってきた応えは、
「修練会の講義で、その話を聞いたことがある。その時から、なんとなく自分の相対者(パートナー)はそんな気がしてた。大丈夫。気楽に行こう」
というものでした。
その時、泣いてしまったことを覚えています。
子供を求める人からすれば、不妊であれば結婚を断る理由には十分なり得ます。それなのに、「別に二人のままでもいい。どうしても子供を求めるなら、養子という手もある」とまで言って受け入れてくれたことに、何とも言えない気持ちになり、ただただ「この人と一緒になりたい」という気持ちが溢れていました。
そして不妊治療を開始し、運良く体外受精で今のお腹の子を授かりました。
…が、全てうまくいくはずもなく。
まず、つわりが始まりました。最初は空腹時に吐き気を催す「食べづわり」。
まだ食べるだけなら大丈夫!なんとかなる!と思っていたのですが、一週間後には吐きづわりとなり、トイレに行く回数は1日に一回、食欲はほぼゼロ、口にできるのはガリガリ君などの氷系のアイスのみとなり、仕事の継続は不可能、病院へ点滴に行くと、即入院。
コロナの関係もあり面会は完全禁止だったので、それも含めて入院生活がつらく、なんとか自力で水分を取り、食事として出てくる「つわり食」を2時間強かけて完食し、三日で退院をしました。
しかしつわりが収まっているわけではなく、入院中もかなり無理をして口に入れていたので、帰宅後も毎日、ジャングルで遭難でもしたの?と思ってしまうような生活をしていました。例えば、ぶどう一粒から水分を取る、喉はひどく乾くのにスポドリが喉を通っていかない、などなど…。あの時の食事をどうしていたのか、今となっては思い出せないほど意識が朦朧とするレベルでしたが、実家が近かったこともあり、両親をはじめ兄妹にも助けてもらいながら、なんとか過ごしていました。
そして、そんな生活を1ヶ月半ほど続けた後、再びマックスでつわりがやってきます。
口にしたものを全て吐き戻す日が1日続きました。スポドリもお茶もアイスもかき氷も果物も、全てです。
日中は意識も朦朧として、「夕方ぐらいから少し良くなるかな…」なんてぼんやり思っていましたが、それは夜の十時になっても続きました。
「あ、これ死ぬかも」
本気でそう思いました。人は水分が取れないと2〜3日で死ぬと言われていますよね。私は水分も取れない上に吐き戻すことでさらに水分が出ていっている状態。これは本気で死ぬ。病院で点滴を打って無理矢理水分体に入れてもらわないと、死ぬ。明日までもつかわからない。
夫が仕事から帰ってきたのは夜の九時。夫が食事を摂っている間も、私は戻していました。もはや何も口にしていないのに、胆汁と胃液を戻していました。
シャワーも済ませ食事も済ませた夫に「病院連れて行って」と言いました。1日何も水分を取れず、全て戻していること、何も口にしていなくても吐いていることを伝えて。
しかし、夫は渋りました。
「明日、お義母さんたちに連れて行ってもらうのじゃ無理?」
その瞬間、夫に対する期待値という期待値が、一気に下がりました。
あれ、この人私に愛してるって言ったよね?言ったのに?死にかけの私を目の前にそんなこと言うの?必死で二人の子を生かそうとしてるのに?毎日残業してるから?明日仕事だから?朝早いから?じゃあ、私は最悪死ぬかもしれないけれど、それでもいいんだ?
そんなことが、一気に頭を駆け抜けました。そして、諦めました。最悪死んでもいいやとすら、その時思いました。そして、「そりゃ世の中の妻は夫に対する恨みつらみしか残らないよね〜」と。
私は翌日まで無事に持ち堪え、母と兄に病院へ連れて行ってもらい、点滴と吐気留めを入れてもらうことで何とか持ち直しました。そのおかげもあって夫に対する恨みつらみはずいぶん軽く済んだように思いますし、その後夫と話し合いを重ねることで夫の姿も変わってきてくれたので許せていますが、あの時の、あの瞬間のことだけは、一生忘れられないだろうなと思います。
ただそこでようやっと、私にも気付きがありました。
「好き」「愛していきたい」そんな気持ちだけでは、夫婦は乗り越えられない壁がたくさんあるのだということを。
私の考えも、夫の考えも、どちらも甘かったのだということ、どちらもいたらない、足りないことだらけだということを。
だからこそ許し合いながら、話し合い互いの考えや想いを伝え合いながらしていかないと、ずっと一緒にはいられないことも。
夫婦って難しいですね。本当に。
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