祝福二世ねこのブログ

私なりに見える統一教会について、記したいと思います。誰かの一助になれば。

【第4回】私の思う「性」の重要性について

*このブログは、私の偏見と主観に基づいて書いています


私は『「根源神の願う 聖い二世」 なんかではなく、 世の中を攪乱した側 魔界の分子の、後継』だそうです。

世の中、色んな人がいるなぁと感じれますね。

もし統一教会の歴史を知りたい!と思う方がいらっしゃれば、私のコメント欄に来てくださっている方のブログ記事をご覧になると良いかもしれません。(許可を得ていませんので、このような形でのご紹介になることをお許しください)

私が語れるのはあくまでも「今の統一教会について感じること」です。

また、私も沢山の批判記事を見聞きしてきましたが、その上で今の結論に至っています。この結論は、いつか変わることはあるかもしれませんが、一つの意見に捉われず様々な意見を見聞きした上で、自分自身で選んでいただけたらと思います。

悩んでいる方にとっても、考える一つの材料になればと思います。


さて、では今日の本題。「私の性について思う重要性」について、お話ししたいと思います。


私は、セックスは容易にすべきではないと考えています。

一番の理由は、セックス行為は「子供ができる」ということです。

もちろん、避妊はできます。コンドームやピル、緊急避妊薬、子宮内に異物を入れることで着床を阻害する方法など、現在は多岐にわたります。

ただ一つ言えることは、「すべて100%ではない」ということです。

確実に、妊娠する確率は下がります。とても下がります。しかし、そのほんの数%で妊娠してしまった時、責任が取れますか?


そもそも責任とは何でしょうか。

女性は、体の構造上責任を取るしかありません。堕胎手術のリスクを背負うのも、精神的負担を抱えるのも、薬の副作用を受けるのも、女性の体です。

また、産むという選択を取ったとしても、つわりもありますし、生死を彷徨う可能性のある妊娠悪阻という最もつわりが悪化した状態になる可能性、妊娠によるさまざまなマイナートラブル、お腹の子の安否、仕事の調整など、そこから受けるものは「幸せ」よりも「大きなストレス」であることもとても多いのです。

もちろん、その後にかかる育児も大きな負担になるでしょう。

それは、簡単に背負える「責任」ではありません。苦痛を感じながら背負う「責任」なのです。


では男性はどうでしょうか?一体どのような責任を背負うのでしょうか。妊娠するのは女性の体で、男性には身体的苦痛は何もありません。しいてあげるならば、女性に対する金銭的支援でしょうか。そこからくる、精神的ストレスでしょうか。しかし、その金銭的支援も、今の社会情勢や賃金を考えれば、難しい問題も出てくるのではないかと思います。


もし、二人で妊娠を喜び、共に育てていく決意ができるならば、二人が納得できる形で解決できるならば、そのような形でも良いのかもしれません。


しかし、そうでない現実もたくさんあるのです。

そのことで深く傷つくこともあるのです。


友人が一度、緊急避妊薬を利用したことを話してくれました。私も不妊治療をする過程で、緊急避妊薬として使われている薬を利用したことがあります。

その副作用は、とてもしんどいものでした。

すでに社会人になっていたこともあり、仕事もある中で、日中やってくる吐き気、眩暈、震え。仕事をこなさなければ、周りに迷惑をかけられないという思いの中、体に強く現れるその症状に耐えるのは、本当に苦痛でした。


そして思うのです。

「なぜ私だけがこんな目に?」


また、問題は子供のことだけではありません。

性病の問題もあります。性病はあまりにも数が多すぎるので紹介とまではいけませんが、私が一番多くの本を読んだのは、「HIV」に関連するものでした。

今なお日本にも、HIVの患者さんがいらっしゃいます。

私が本を読んだときは十五年ほど前でしたが、その時からどんどん時は変わり、AIDS発症を抑える薬も開発されているようですが、その後の生活に大きな支障をきたす病であることは変わりないのではないかと思います。

病など、罹らないに越したことはありません。その苦労を受ける必要がなくなるのですから。


以上の理由から、私は「セックスは容易にすべきではない」と思っています。

いざというとき、傷つきすり減るのは自分自身であり、未来のパートナーです。


ですが、それを踏まえてなお、恋人とセックスをすることを止めることができないと思っているのも事実です。


私は中学時代から今の今まで述べてきたことをもとに、異性交遊は絶ってきました。友人達も、統一教会のことも私の考えも踏まえた上で、付き合ってきてくれました。

その中で友人達がそのような話になった時、私が伝えたのは、「本人達が後悔しないように、最悪の場合の手段を伝える」ことでした。

女ですから、リスクを知っておかなければ必ず苦労します。必ず傷付きます。傷つかないわけがないのです。

性に対する興味、好きだと感じている恋人への興味、それらは間違ったものではないと思っています。むしろ、人として正しい反応でもあると。

しかし、どうしてもリスクが伴うものですから、いざという時のことを伝えていました。


セックスは愛情を伴うコミュニケーションです。もしそこに愛情がなければ、自慰行為と何が違うのでしょうか。


二世であろうとそうでなかろうと、自分自身の責任が取れるのか、相手に責任を取れるのか、相手をただの「気持ちいい道具」として扱っていないだろうか、「気持ちいい道具」として扱われていないだろうか、しっかりと考えてほしいと思います。


そして、以上のことを踏まえた上で、私は子供を一緒に望んでくれる人をただ一人、生涯唯一のパートナーとする「絶対性」を受け入れましたし、異性交遊禁止を受け入れました。


自分自身で考えて、考えて、考えて、最後は選んでください。

そうすれば、自ずと答えは見えてくるのではないかと思います。