祝福二世ねこのブログ

私なりに見える統一教会について、記したいと思います。誰かの一助になれば。

【第13回】相対者との交流期間【祝福式】

日々が淡々と過ぎ去っていく中で、ふと気付くと金曜日で、「あ!明日更新日!」と、ちょっと慌てちゃったりしてます。

毎日が過ぎていくのは早いですね。

そしてうっかり予約投稿するのを忘れていました。ごめんなさい。


さて今日は、祝福式のお話です。

某掲示板ではひどい言われ方をしたりもしますが(乱行パーティーなどなど)、実際は処女童貞が基本になります。初夜についても後述しますが、基本的には祝福式後一ヶ月後以降にそれぞれの入籍や同棲のタイミングに合わせることになるので、実際は禁欲生活はまだ続きます。


祝福式は、約五日間ほどの日程で行われます。

その中で、祝福式のオリエンテーションやちょっとした祝福に向けての意義についての講義などが行われます。1箇所にかなりの人数が集まるので、食事の時間などもゆったりめに設定されています。


また、祝福式は祝福二世だけでなく、同時に信仰一世や二世の方達も参加されているようでした。

(男性が女性にプロポーズなどの式もあったようで、プロポーズと無縁の私はちょっと羨ましかったです。祝福二世や三世はそのイベントはありませんでした)


そして、女性達は睡魔との戦いが始まります。


ヘアセットは教会側でヘアスタイリストを用意してくれるのですが、なんせ千人単位の女性のヘアスタイルをセットするわけですから、祝福式の前日の夕方6時ぐらいからヘアセットが始まります。早くにセットしてもらった女性はヘアスタイルを崩さないよう、早くにシャワーをするのはもちろん、寝る時も座って机に突っ伏すように寝るしかありません。もはやただの仮眠です。

たとえ遅くであっても、眠れないのは同じです。また、メイク時間もあります。みんな深夜一時二時からドレスに着替え、自身でメイクをし、準備をします。

そして、祝福式当日は朝から夫婦での写真撮影が始まります。これもまた何千組と撮影するわけですから、早い人であれば早朝3時からの撮影となります。

そして、式はバスで30分ほど移動して、朝9〜10時スタートになります。


男性は、お風呂にちゃんと入ってヒゲを剃ってスーツに着替えれば終了ですが、女性にとっては人生の一大イベント。気合も入りまくりで、眠る時間なんてほんの少ししかありません。


教会側の配慮は、少なくとも女性はベッドで眠れるように、疲れが少しでもたまらないようにといった配慮があります。教会でのイベントは基本雑魚寝なので、かなりの高待遇です。(両親の部屋などは見ましたが、一部屋に雑魚寝でした。)


普通の結婚式や披露宴をしてもかなりのハードスケジュールですが、統一教会の祝福式の花嫁は、世界一過酷な花嫁と言っても過言ではないかもしれません。少なくとも私が知る限り、先進国の中ではこんな過酷な花嫁は他は知りません。


ちなみに私はと言うと、式が始まるまで夫にもたれかかり涎を垂らしながら寝ていました。夫のダウンは涎がべったりでした。

私は他の方のメイクもお手伝いしていたので、自身の睡眠時間は三十分。起きてられるわけがなかったです。

夫はそんな私を眺めていたようです。よだれぐらい拭いてくれてもいいのにね!ほんとに!

でも、男性陣は男性陣で、女性がいかに過酷かを聞いていたこともあり、夫も「疲れてるんだなぁ」と思っていてくれたようです。


祝福式では、お母様の祈りがあり、互いに指輪をつけ、終了。


その後はちょっとした余興がありました。


それも終わると、会場内の至る所に設置されたセルフフォトの背景で写真を撮りまくりました。特に私は「これで結婚式終了ー!」の気持ちで、他に写真を撮る予定もなかったので、これでもかというほと撮りまくりました。

良い思い出になっています。


次は何お話ししようかな?と思ってるのですが、せっかくなので初夜についてもお話ししようかなと思います。

【第12回】相対者との交流期間【祝福式を受けるまで】

久しぶりの投稿となります。これからは毎週土曜日夜七時の投稿をしていきたいと思います。

この記事を書いている間、我が子はミルクも終わり、クーイングをしながらご機嫌で過ごしてくれています。


さて、再開してから一回目の投稿ですが、今回は会員が読めば度肝を抜かれる内容となります。会員でなくても、ある程度統一教会の教義を知っている方でも「えっ?」となるかもしれません。

今までの投稿で身バレ防止のためフェイクも入れていますが、万が一「あれ…この人…??」となっても黙っておいてください。


約婚式も無事に終わると、私の気持ちはセーブするのが難しくなりました。というよりも、セーブする必要がなくなったと感じたのかもしれません。

遠距離ではありましたが、毎週のようにデートを繰り返しましたし、手を繋ぐことから始まり、相手に「触れたい」気持ちは募りに募り。最終的には、キスから始まり一緒にお風呂に入るようになっていました。ただ、本番行為はありませんでした。それは互いにとって、最後の一線でもあったからだと思います。


私にとっては、相手に対して絶対的に責任を持つ行為であり、そこまでいけば、私の心もまた誰にも顔向けできなくなると感じていたからです。


いやいや、教会的にはアウトじゃね?

って話ですよね。

はい、アウトだと思います。


ただ、私の良心がそこに問題性を感じなかったのです。神であろうがサタンだろうが、それらの前に連れ出され問いただされたとしても、私自身は恥じることなくその事実を認めることができたのです。もちろん、自分達の両親に対しても同じです。


さらに言えば、私にとって性行為は「生殖行為」とも直結していました。もし我が子を授かったとしても、恥じることなく我が子に伝えられることは私にとって重要でもありました。


私がその時に相対者に感じていた感情は「愛したい」という思いであり、その上で、神に祈りながら結論を下したモノです。


ただ、これを読んだ2世に不幸が起こってはいけないので言及しておきます。

私は私が正しいと思っていません。ただ、「私にとって」、それらは正しいモノだったと思っています。

もし協会員の後輩達に同じような相談をされたら、私と同じようにすることを、私はおすすめしません。

私は「何が何でも一緒になる」こと、「何があってもかわらない」ことを、既に決意してました。もちろんそうは言っても、思いは変化することもあるかもしれません。もちろん変化しない努力は必要ですが、たとえ変化しても、パートナーを大嫌いになったとしても、憎んだとしても、一緒に居続ける努力を決意しました。

私は私がそれをできると信じているので、祝福を受ける前にそこまで踏み切りました。

ただ、それを他の人が同じ気持ちで、同じようにできるとは信じていません。

それに教会的にはアウトでもあります。


繰り返しではありますが、私は私自身が考え、行動し、その行動により起こりうるトラブルも覚悟をした上でのことでした。

安易に「行為をしても良い」と言いたいわけではないことをご理解いただけると嬉しいです。

ただ、そんなカップルもいるのか、ぐらいに思っていただけると幸いです。


さて、次回はついに「祝福式」についてお話ししたいと思います。

お知らせ

とってもお久しぶりです。

気まぐれ投稿しますと言ってから早三ヶ月。その間体調が優れずグズグズし、妊娠期間も37週に入るころ妊娠高血圧で入院、もう帝王切開しますと言われ怯え切っていたのですが、まさかのその予定日の前日に高位破水と微弱陣痛が始まり、もう待てないということで緊急帝王切開の末、我が子が生まれいきなり育児が始まるという怒涛の三ヶ月を過ごしておりました。


今は育児にずいぶん慣れつつも、妊娠期間でほぼ無になったと言っても過言ではない体力はあっという間に育児で使い切り、余力はゼロ状態が続いております。


ですが、せっかくブログも開設したので、毎週土曜日夜七時に、定期投稿していきたいなと思います。ですので、再開は4/30。はからずしも私たち夫婦の入籍記念日です。


投稿していない間もこのブログに足を運んでくださった方もいらっしゃるようで、嬉しい限りです。

役に立つかはわかりませんが、細々更新は続けていきますのでよろしくお願いいたします。


また、生まれた我が子についても、どこかで記事にできたらな、と思います。